「毎回ギャンブルしてないですか?」「してます、してます」──。ある老舗酒蔵への取材で交わされた、やり取りである。全国141蔵が回答した 全国酒蔵イベント出展実態調査2026 では、56.7%の蔵がイベント出展の課題に「売上につながらない」を挙げ、「効果測定が難しい」(41.8%) という声も並んだ。その回答の裏で実際に何が起きているのかを確かめたくて、編集部は一つの蔵に話を聞いた。語られたのは、商品開発と販売の「リアル」だった。

これは一つの蔵の告白であると同時に、日本中の多くの蔵の日常でもあるのだろうか...。

先に書いておきたい。本記事は、蔵の職人技と、それを磨き守り続けてきた人たちへのリスペクトを大前提としている。ここに書くのは誰かの怠慢の話ではなく、個々の蔵の努力ではどうにもならない「構造」の話だ。

もう一つ、論点の範囲も明確にしておく。POSデータや市場調査を自前で回し、定量データを商品開発に生かせている大手メーカーは、本記事の論点の外にある。ここで扱うのは、業界の大多数を占める、そうした基盤を持たない蔵の話だ。

「誰が飲んでいるか」を、蔵は知らない

取材のきっかけは、調査2026の回答だった。この蔵の出展回数は年10回以上──調査では56.0%の蔵が「10回以上」と答えており、これ自体は多数派だ。目的は「新規ファンの獲得」「認知向上」「売上向上」。そして課題の欄には、調査全体の傾向 (課題1位「出展費用」72.3%、「売上につながらない」56.7%) と重なる言葉が並んでいた。回答の背景を聞かせてほしいと依頼し、オンラインで話を聞いた。

イベントに出れば、目の前でお客さんが飲んでくれる。感想も聞ける。ただ、それが次につながったのかどうかを、確かめるすべがない。

「効果測定は、本当に難しいですね。"なんとなく、あのとき居たよね"という、数字にできないものしか残らないんです」

調査2026でも41.8%の蔵が「効果測定が難しい」を課題に挙げている。この蔵だけの感覚ではないのだ。

これはイベントに限った話ではない。そもそも自蔵の酒を どんな属性の人が飲んでいるか を把握できている蔵は、ほとんどないという。年代も、性別も、どんな料理と一緒に飲まれているかも、蔵には届かない。

消費者の声が蔵に届かない構造(商品は一方通行で流れ、戻るのはリピート発注だけ)

商品は蔵から流通へ、酒販店・飲食店へ、そして消費者へと一方通行で流れていく。イベントの会場や店頭で耳にする感想のような断片は戻ってくる。しかし、それが定量的なデータとして蔵に還流する回路は、この業界に存在しない。これから語られる問題はすべて、この一枚の図に行き着く。

SURVEY 2026

本記事の出発点になった、全国141蔵の一次データ

全国39都道府県・141蔵が回答。課題1位「出展費用」72.3%、「売上につながらない」56.7%、「効果測定が難しい」41.8% など、イベント出展のリアルを集計。

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「できたものを、とにかく売る」──プロダクトアウトの現実

消費者が見えないまま、商品はどう生まれ、どう売られていくのか。答えは率直だった。

「ちゃんと役目を考えて、というより、もうできたものをとにかく売らなきゃね、というくらいの感じなんですよね」

作ってから、売り方を考える。教科書で言う「プロダクトアウト」だ。では作る段階では何を頼りにするのか。データではなく、造り手の感覚、業界の流行、そして営業先にひとことで語れるかという「説明のしやすさ」だという。

注目したいのは、「ちゃんと役目を考えて、というより」という前置きだ。本来は商品の役目──誰に、どんな場面で飲んでほしいか──を考えて作るべきだと、蔵自身が分かっている。分かっていながら、現実は「できたものを売る」に引き戻される。この矛盾を抱えたまま操業を続けていることこそ、この発言の本当の重さだろう。

逆の進め方──市場が欲しがるものを調べてから作る「マーケットイン」に切り替えたくても、参照できるデータがそもそも存在しない。ならば、データがあれば変わるのか。返ってきた答えには、二重の壁が表れていた。

「データがあれば、絶対ありがたいです。ただ"あったとて"というところも、正直あるのかもしれません」

データは、ほしい。しかし使った経験がないから、それで何がどう変わるのかまでは描けない。「データが無い」という一枚目の壁の向こうに、「使ったことが無いから価値を具体的に想像できない」という二枚目の壁がある。これがデータなき業界の実相だ。

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毎年がギャンブル──新商品のライフサイクル

データなしで生まれた新商品は、市場でどうなるのか。新しいブランドを出すと、初年度は「新しさ」で売れる。問題はその後だ。

「そこから当たるか当たらないかは、ギャンブルですよね」

しかも日本酒には、その検証を難しくする時間の制約がある。

「1年のお酒を売り切る前に、新しいお酒ができてしまうことが往々にしてあるんです」

日本酒は年に一度仕込まれる。前の酒の売れ行きを検証し終える前に、次の酒が完成してしまうのだ。売れ残った酒は「手を変え品を変え」で売り先を探す。熟成酒 (古酒) として売り直す。ラベルを変える。そして"答え合わせ"の手段は、実質的にリピート発注しかない。

「おかわりがあったときに、ああ売れたんだ、良かった良かった、と。まさにそんな感じですね」

誤解のないように書いておくと、これは蔵の怠慢ではない。消費者の声が数字として還流しない流通構造の中では、リピート発注 しか 検証手段が存在しない。プロダクトアウトも「毎年のギャンブル」も、その構造の帰結なのだ。

「聞いたことがある」で買われる──ブランド名がほぼすべて

では、その数少ない「当たり」は何で決まるのか。話は日本酒の買われ方に及んだ。売れ筋を決めるのは、味の細かな差ではないという。

「聞いたことがある、で買うんです」

消費者の多くは日本酒の知識が深いわけではない。それはワインでも焼酎でも同じで、責められる話ではない。ただその結果、店頭では知名度がほぼすべてを決め、味の感想が蔵に返ることもない。調査2026で出展の目的として「認知向上」85.8%・「新規ファン獲得」78.7%が突出し、「売上向上」48.9%を大きく上回るのも、知名度こそが売れ行きを決めることを蔵自身が体感しているからだろう。

マーケットとプロダクトのたとえ話で、こんな論争がある。世界一売れているカップヌードルは、世界一おいしいラーメンなのか。おそらく多くの人の答えはノーだ。それでも世界一売れるのは、どこでも買えて、誰もが名前を知っていて、外れがないからだ。売れる理由と、おいしさの追求は、重なるけれど同じものではない。日本酒の店頭で起きているのも、規模こそ違えど同じ現象だ──「聞いたことがある」が、味の細かな差より先に効く。

だからこそ、名前に意味を持たせて覚えてもらう仕掛けを持つ蔵は強い。「究極の食中酒」のような、一言で価値を言語化したキャッチフレーズはその代表だ。品質の勝負の手前に、言語化の勝負 がある。"言ったもん勝ち"を、覚悟を持ってやり切れるかどうかだ。

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みんな同じ酒になっていく──同質化の力学

言語化で独自の立ち位置を築けないなら、残る現実的な選択肢は、酒質そのものを売れ筋に寄せることになる。流通や店頭の現場からは「最近っぽいラベル」「フルーティーでちょっとシュワッとした酒質」が売りやすいという声が届き、各蔵がそれに応えようとする。

「自分たちのできる範囲で、できるだけ売れ筋に乗せたい。うちも含めて、大体の酒蔵が考えていることだと思います」

その結果どうなったか。

「(結果、同じようなものに)今、なっています」

複雑な製法や新しい設備への挑戦には、投資と技術の壁がある。だから各蔵の努力は「できる範囲」に収束し、似た方向を向く。老舗がラディカルに動けない理由も、また切実だった。

「何十年も続いてきたブランドを、こんな簡単な判断で壊していいのか、と思ってしまうんです」

守るべきものがある蔵ほど、賭け金は大きい。同質化は、怠慢ではなく合理の帰結として起きている。

そして、ここにもデータ不在の影がある。そもそも「フルーティーでシュワッとした酒が売れている」という流行情報そのものに、数字の裏付けはあるのだろうか。それは流通や店頭から又聞きで伝わってくる"空気"であって、本当に売れているのか、誰に売れているのか、いつまで続くのかを、蔵が数字で確かめるすべはない。つまりデータなき酒造りは、流行を追うときもデータなしで追っている。売れ筋に乗る判断すら検証ではなく、確かめようのない流行に各蔵が同時に流されていく──同質化の正体は、そういう現象なのかもしれない。

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それでも、変わりたい──取材の終わりに

悲観的な話ばかりに見えるかもしれないが、取材を通じて感じたのはむしろ逆だった。現状に満足している蔵はほとんどなく、「何かしらやらないといけない」と思っている人が大半──それがこの蔵の見立てだ。調査2026でも、今後参加したい形式として「酒販店向け商談会」53.9%・「飲食店向け商談会」50.4%が上位に来るなど、いまのやり方を変えたい意欲は数字にも表れている。

ただし、こうも言えるかもしれない。データは「取れない」のではなく、「取りに行っていない」だけではないか──。イベントや直販、SNSなど、消費者との接点は皆無ではないからだ。取りに行かない背景には、先に見た二枚目の壁──使った経験がないから、取りに行く価値を描けない──がありそうだ。そして、いざ本気で回路を作ろうとすれば、消費者との接点の多くは流通の先にあり、一蔵単独では完結しない。誰かの協力が要る。

取材の後半は、編集部からの提案ベースの雑談になった。たとえば、流行の食べ物との"食べ合わせ検証"をSNSで発信し、その反応の数字から消費者の関心を定量的に拾ってみる。検索やAIの回答──いわゆるAEOの領域──で自蔵や自社銘柄がどう見えているかを確認し、整理していく。どれも大きな投資の要らない、データを「取りに行く」最初の一歩だ。

「いろいろやり方があると分かって、やってみたいかも、という気持ちになってきました」

日本酒業界の課題は、根性論ではなく「回路」の再設計

もちろん、マーケティングがすべてではない。データを見れば美味い酒が造れるわけではないし、造りへの誠実さが日本酒の価値の核であることは、これからも変わらない。

ただ、その信念だけで続けてきた先に、いま業界が立っている場所がある。国内の酒蔵は最盛期の4,000超から1,500程度まで減り、後継者不足や経営難による廃業・事業譲渡 (M&A) の話は、もはや珍しいニュースではなくなった。「いい酒を造っていれば、いつか伝わる」──その言葉が届く前に、蔵が先になくなってしまう。造りの哲学と、それを届け続けるための経営は、どちらかを選ぶものではなく、両方が要る。

蔵は怠けているのではない。データが無い戦場で、腕と感性で戦ってきた。そして多くの蔵が、その戦い方の限界に気づき始めている。

必要なのは「もっと頑張れ」という根性論ではない。消費者の声が蔵まで届く 「回路」の再設計 だ。誰が飲んで、何と合わせて、どう感じたか──その情報が蔵に還流し始めたとき、「毎年のギャンブル」は少しずつ、検証可能な挑戦に変わっていく。


SIPORYがやろうとしていること ── 超吟醸祭2026 では、来場者が銘柄への評価・コメントを残せる仕組みを用意し、データを出展蔵に還元する。全国酒蔵イベント出展実態調査2026 の集計レポート公開 (本記事の出発点) や、蔵の「検索・AI時代の見え方」整備の支援も続けていく。消費者の声が蔵に届く回路を、少しずつ作っていきたい。


よくある質問

日本酒業界の課題は何ですか?

本記事で取り上げたのは、消費者データの不在です。データ基盤を持つ大手メーカーを除き、業界の大多数を占める中小の蔵では、誰が・どこで・何と合わせて飲んでいるかという情報が還流する仕組みがなく、商品開発がプロダクトアウト (作ってから売り先を考える方式) にならざるを得ない構造があります。詳細な一次データは 全国酒蔵イベント出展実態調査2026 を参照してください。

なぜ酒蔵は消費者の声を聞けないのですか?

日本酒は蔵から流通・酒販店・飲食店を経て消費者に届く多段階流通が基本で、イベントや店頭で聞く感想のような断片的な情報はあっても、それが定量的なデータとして蔵に戻る仕組みがないためです。蔵に数字として戻る情報は、実質的にリピート発注だけです。