酒母 (しゅぼ) とは、麹・蒸米・水に酵母を加えて小さなタンクで仕込み、健全な酵母を大量に増やす工程です。「酛 (もと)」とも呼ばれ、「一麹二酛三造り」の二番目にあたります。酒母の造り方には、人工の乳酸を加えて 2 週間ほどで仕上げる「速醸酛」と、自然の乳酸菌に乳酸を作らせて 1 か月近くかける「生酛」「山廃酛」があり、ラベルに「生酛」「山廃」と書かれているのはこの酒母の違いです。
日本酒の醪 (もろみ) は数千リットルの規模になります。そこへ少量の酵母をいきなり入れても、雑菌に負けたり発酵が立ち上がらなかったりします。そこで、まず小さな仕込みの中で酵母を数億個/ml の密度まで育ててから、本仕込みに移す。この「発酵のスターター」が酒母です。この記事では、酒母の役割と仕組み、速醸・生酛・山廃の違い、期間と酒質への影響、酵母の種類、ラベルでの見分け方を順に整理します。
酒母の位置づけ: 麹の次、醪の前
| 工程 | 内容 |
|---|---|
| 麹造り | 糖化酵素を持つ麹を造る → 麹とは? |
| 酒母造り | 麹・蒸米・水・酵母を小タンクに仕込み、酵母を増やす (本記事) |
| 醪 (三段仕込み) | 酒母に麹・蒸米・水を 3 回に分けて加え、本発酵へ → 醪とは? |
| 上槽 | 醪を搾って酒と酒粕に分ける → 上槽とは? |
酒母に使う米は総米のおよそ 7% 前後が目安とされ、醪全体から見ればごく小さな仕込みです。全体像は 日本酒の製造工程完全ガイド を参照してください。
酒母の役割は「酵母を増やす」と「雑菌から守る」
酒母の中では二つのことが同時に進みます。
- 酵母の増殖: 麹の酵素が蒸米を糖化し、その糖を餌に酵母が増えます。完成した酒母は 1ml あたり 2〜3 億個の酵母を含むとされ、醪へ移したときに一気に発酵を立ち上げられます。
- 乳酸による雑菌抑制: 酵母は酸性に強く、多くの雑菌 (野生酵母や腐造の原因菌) は酸性に弱い性質があります。酒母を乳酸で酸性に保つことで、酵母だけが育つ環境を作ります。この乳酸を「人が加えるか」「乳酸菌に作らせるか」が、速醸と生酛系の分かれ目です。
速醸酛・生酛・山廃酛の違い
| 項目 | 速醸酛 | 山廃酛 | 生酛 |
|---|---|---|---|
| 乳酸 | 醸造用乳酸を最初に添加 | 乳酸菌に作らせる | 乳酸菌に作らせる |
| 山卸し (すり潰し) | なし | なし (廃止) | あり |
| 期間の目安 | 約 2 週間 | 約 3〜4 週間 | 約 4 週間以上 |
| 成立 | 1910 年ごろ、国の醸造試験所で確立 | 1909 年、醸造試験所で確立 | 江戸時代に確立した伝統法 |
| 現在の割合 | 国内の清酒の大半 | 少数 | 少数 |
| 酒質の傾向 | 軽快で透明感がある | 酸と旨味がしっかり、力強い | 複雑で押しが強く、熟成や燗に向く |
| 代表的な蔵 (例) | ほとんどの蔵 | 菊姫 (石川) など | 大七 (福島)、新政 (秋田) など |
速醸酛 (そくじょうもと)
仕込みの最初に醸造用の乳酸を加え、いきなり酸性の環境を作ってから酵母を入れる方法です。乳酸菌が育つ時間が要らないため、約 2 週間で完成します。明治末期に国の醸造試験所で確立され、腐造のリスクを大幅に減らしたことで全国に普及しました。現在の清酒の大半は速醸酛で、「安定して狙った酒質を作れる」技術です。ラベルに酒母の記載がない酒は、ほぼ速醸と考えて差し支えありません。
生酛 (きもと)
江戸時代に完成した伝統的な方法で、乳酸を加えず、蔵に住む乳酸菌に乳酸を作らせます。仕込んだ直後は雑菌も多い状態ですが、硝酸還元菌、乳酸菌、と微生物が入れ替わりながら酸性に傾き、最後に酵母だけが残る。この微生物の遷移を低温でゆっくり進めるため 1 か月近くかかります。初期に、半切り桶に入れた蒸米と麹を櫂 (かい) ですり潰す「山卸し (やまおろし)」という重労働があり、米を溶かして糖化を早めるのが目的です。詳しくは 生酛とは? を参照してください。
山廃酛 (やまはいもと)
「山卸し廃止酛」の略です。麹の酵素力が十分なら山卸しをしなくても米は溶けることが分かり、1909 年に醸造試験所で確立されました。乳酸菌に乳酸を作らせる点は生酛と同じで、酒質も生酛に近い力強さがあります。ラベルの「山廃仕込み」「山廃純米」はこの酒母で造った酒です。詳しくは 山廃とは? を参照してください。
そのほかの酒母
55℃前後の高温で先に糖化を済ませる「高温糖化酛」は、1 週間程度で仕上がる速醸の変形です。また、乳酸菌の代わりに前年の酒や酒母の一部を使う「酛卸し」など、蔵独自の工夫もあります。
酒母の進み方 (速醸の例)
| 日数の目安 | 状態 |
|---|---|
| 仕込み (1 日目) | 麹・蒸米・水・乳酸・酵母をタンクへ。品温は 20℃前後 |
| 2〜4 日目 | 麹の酵素で糖化が進み、甘くなる。酵母が増え始める |
| 5〜8 日目 | 発酵が盛んになり、表面に泡が立つ。アルコールが生まれる |
| 9〜12 日目 | 発酵が落ち着き、酵母の密度が最大に。酒母を冷やして休ませる (枯らし) |
| 約 2 週間 | 完成。アルコール分はおよそ 10% 前後、酸味の強いどろりとした液体 |
生酛・山廃ではこの前に乳酸菌が乳酸を作るための期間が加わり、初期の温度管理 (「暖気 (だき)」と呼ばれる湯を入れた樽を差し込む作業など) に蔵人の経験が要求されます。
酵母の種類: 協会酵母と蔵付き酵母
酒母に加える酵母には、日本醸造協会が頒布する「きょうかい酵母 (協会酵母)」と、蔵に住みついた「蔵付き酵母」、各県の研究機関が開発した県酵母などがあります。
| 酵母 | 特徴 |
|---|---|
| きょうかい 6 号 | 新政酒造 (秋田) から分離。穏やかな香りで、現存する最古の協会酵母 |
| きょうかい 7 号 | 宮坂醸造・真澄 (長野) から分離。華やかさと安定性で最も広く使われる |
| きょうかい 9 号 | 熊本県酒造研究所 (香露) から分離。吟醸香が出やすく、吟醸造りの定番 |
| きょうかい 1801 号 | 高い吟醸香を出す、鑑評会向けの高香気酵母 |
| 県酵母・蔵付き酵母 | 山形・静岡・福島など各県の酵母や、蔵独自の酵母 |
生酛・山廃でも酵母は加えるのが普通で、「酵母無添加」と書かれた酒だけが蔵付き酵母を自然に取り込んで造られています。
ラベルで酒母を見分ける
| 表記 | 意味 |
|---|---|
| 生酛 / 生もと / 生酛造り | 山卸しを行う伝統法で酒母を造った酒 |
| 山廃 / 山廃仕込み | 山卸しを省いた生酛系の酒母 |
| 記載なし | ほぼ速醸酛 |
| 酵母無添加 | 酵母を加えず、蔵付きの酵母で発酵させた酒 (生酛・山廃で見られる) |
| 6 号 / 7 号 / 9 号 など | 使用した協会酵母の番号 |
生酛・山廃の酒は酸とアミノ酸が多く、常温や燗で味が開くものが多いので、冷やしてしか飲んでいないなら温度を変えて試す価値があります。→ 燗酒とは?
こんな人におすすめ
- ラベルの「生酛」「山廃」の意味と、何も書いていない酒との違いを知りたい人
- 酒蔵見学で「酛場 (もとば)」や「暖気」の説明を聞く前に基礎を押さえたい人
- 日本酒の味の違いを、米や精米だけでなく微生物の管理から理解したい人
よくある質問
酒母とは何ですか?
醪に移す前に、麹・蒸米・水・酵母を小さく仕込んで酵母を大量に増やす工程です。酛 (もと) とも呼ばれ、発酵のスターターにあたります。
酒母と酛は違いますか?
同じものです。蔵では「酛」「酛造り」と呼ぶことが多く、文献や法令では「酒母」と書かれます。
生酛と山廃の違いは?
どちらも乳酸菌に乳酸を作らせる伝統系の酒母で、違いは山卸し (蒸米と麹をすり潰す作業) を行うかどうかです。生酛は行い、山廃は省きます。
速醸酛は劣っているのですか?
いいえ。速醸は腐造を防ぎ、狙った酒質を安定して造れる技術で、現在の清酒の大半がこの方法です。生酛・山廃は手間と時間をかけて複雑さや力強さを得る別の選択です。
酒母にはどれくらいかかりますか?
速醸で約 2 週間、山廃で 3〜4 週間、生酛で 4 週間以上が目安です。蔵や気温によって前後します。
出典・参考
- 国税庁「酒のしおり」
- 日本酒造組合中央会「日本酒の基礎知識」
- 独立行政法人 酒類総合研究所「清酒製造技術」関連資料
- 公益財団法人 日本醸造協会「きょうかい酵母」頒布情報
もっと知りたい方へ
まとめ
酒母は、醪に移す前に酵母を大量に育て、乳酸で雑菌から守る「発酵のスターター」です。乳酸を人が加えるのが速醸酛 (約 2 週間、現在の主流)、蔵の乳酸菌に作らせるのが生酛 (山卸しあり) と山廃酛 (山卸しなし) で、生酛系は 1 か月近くかけて酸と旨味のある力強い酒質を生みます。ラベルの「生酛」「山廃」は、この酒母の違いを示す言葉です。
