自社の蔵開きに1日700人。シーズンの蔵見学は1日300人、年間では数万人──。酒販店にはほとんど卸さず、蔵に来てもらい、飲んで納得した人にだけ買ってもらう。1831年(天保2年)創業、滋賀・愛荘町の藤居本家は、そんな独自の流儀を何十年も積み重ねてきた蔵だ。滋賀県産の酒米100%と鈴鹿山系の水で醸す「旭日(きょくじつ)」について、8代目を継ぐ予定の専務・藤居邦嘉さんに話を伺った。
蔵開きに1日700人──直販とファンで成り立つ藤居本家
藤居本家にとってのイベントは、客とのつながりを増やし、蔵を知ってもらうための場だ。なかでも最大のものが、自社で開催する蔵開き。多い日には1日で700人ほどが訪れる。お猪口を2,000円で購入すると、10時から16時まで13種類ほどの酒が試飲でき、マルシェの出店で食事も楽しめる──家族連れでにぎわう、蔵の祭りである。
藤居本家は、酒販店への卸を主軸とせず、全国のファンとの直接のつながりで成り立つ、少し珍しい形態の蔵だ。飲食店で見かける機会も多くない。それでも蔵が続いてきた理由を尋ねると、返ってきたのは飾らない答えだった。
「秘訣は、小さな積み重ねです。一度お越しくださったお客さまからご連絡先をいただき、ご案内をお送りする。その積み重ねを何十年も続けてきた結果が、今の形です」
普段は家飲みや贈答用として楽しまれ、通販では沖縄から北海道まで注文が届く。派手さはなくとも確実に届く関係を、この蔵は時間をかけて育ててきた。
その価格では品質を出せない──酒販店に頼らない理由
酒販店や飲食店との取引を広げない理由は明快で、コストが見合わないからだ。流通に乗せるには販売価格を抑える必要があるが、その価格では目指す品質を出せない。だからこそ、価格に納得した取引先とだけ取引をしている。全国にはより安い酒があり、商売としてはそちらが選ばれやすい──扱いづらい酒であることは、蔵自身がいちばんよく分かっている。
滋賀県産の酒米100%・新米だけ──「旭日」の地酒哲学
規模の拡大は考えないのか。そう尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「私どもは滋賀県産の酒造好適米しか使わないというこだわりをもっているのと、ほとんどが親族で経営している小さな酒蔵です。なので、良いものを作って、飲んでくださったお客様に喜んでいただきたい、という思いで造っています」
その言葉どおり、滋賀県産の酒造好適米しか使わないというのは譲れない一線だ。高温障害で米が取れない年には、造れない酒も出る。それでも他県から安い米を仕入れることはせず、古米も使わず、新米だけを使い続ける。安い米を使えば酒の価格は下げられるが、それでは「地酒の立ち位置」が崩れてしまう──滋賀の農家を応援する意味も込めた選択だ。
その滋賀の米と水の魅力を、藤居さんはこう説明する。
「滋賀は水源が豊富です。琵琶湖の周りに鈴鹿や伊吹といった山があり、うちは鈴鹿山脈が近い。その伏流水と育てられた酒米で仕込むと、旨味のしっかりした酒になります。滋賀県で造る必要性のある、特徴の出た酒を造っています」
代表銘柄「旭日(きょくじつ)」の名は「旭日昇天」から。万物の根源である太陽が天に昇る様に、明日への発展・希望・幸福の願いを込めて名付けられた。地酒の哲学に、太陽の名。蔵の背骨は一本、通っている。
藤居本家の味は、一本ではわからない──20種類超のレパートリー
造り自体に特別な違いはない、と藤居さんは言う。最新の技術は取り入れるべきところで取り入れ、江戸時代の製法で仕込む酒もある。特徴的なのはその「幅」だ。店頭に置いてもらって売る形態ではなく、飲んで納得したものを買ってもらう形態だからこそ、飲みやすいものから味わいのしっかりしたもの、古酒まで、レパートリーは20種類を超える。生酒だけで多いときは8種類。梅酒とイチゴ酒も、滋賀県産の果実を使い、香料・着色料などは無添加で仕込む。
一方で、すっきり淡麗系は現在のレパートリーには置いていない。理由は、滋賀の食にあった。
「滋賀は海のない県ですから、合わせるのは川魚などが中心になります。川魚には少し癖がありますから、すっきり淡麗系では臭みが目立ってしまう。米の旨味がしっかりしていないと相性が良くないんです。ですから基本的には、すべての酒が米の旨味をしっかり感じる設計になっています。そのうえで、飲み応えが残るのか、後味で切れるのかが分かれていきます」
相性が良いのは、鮒寿司や近江牛のような旨味の強い食材。日本酒の蔵というより「滋賀の地酒の蔵」として、味の設計図まで滋賀の食卓から逆算されている。
築110年の東蔵と総ケヤキの貯蔵庫──藤居本家の蔵見学
蔵見学は無料。シーズンには1日300人、年間では数万人が訪れる。案内されるのは、築110年を超え文化財になっている「東蔵」。平成の中頃まで実際に酒造りに使われていた蔵で、現在は造りには使っていないため、一般の見学者が入っても衛生上の問題がない。蔵を見学し、10種類ほどの試飲を楽しみ、気に入った酒を買って帰る──それが藤居本家の見学ルートだ。
そして、この蔵を全国でも唯一無二の存在にしているのが、総ケヤキ造りの貯蔵庫だ。ケヤキの木をこよなく愛した先代が、独学で設計を学んで建てたものと伝わる。戦後まもなく建てられたこの貯蔵庫には、30年以上常温で熟成させた純米古酒が多数眠っている。
立地にも恵まれた。蔵はラ コリーナ近江八幡と彦根城のほぼ中間にあり、東海・北陸・近畿のどこからもアクセスしやすい。旅行会社のツアー行程にも組み込まれ、蔵の食事処「かくれ蔵藤居」で食事もできる。「皆さん、滋賀は通り過ぎてしまいがちですが、降りてみるととても良いところなんです」──「蔵に来てもらう」戦略を、立地と建物が支えている。
ハッピを着て、格闘ゲームの全国大会へ
取材の後半、話は意外な方向へ転がった。藤居さん自身が格闘ゲームの愛好家で、蔵のハッピを着て全国大会に出場してきた経歴の持ち主なのだ。その影響で若い世代が日本酒を手に取ってくれたり、東京への出店時に買いに来てくれたりすることもあるという。好きな声優のトーク番組で酒が取り上げられ、その番組のファンが購入してくれることもあるそうだ。
蔵元の家業は、顔も名前も表に出る仕事。それならばと開き直って趣味に打ち込んだ結果が、新しいファンづくりにつながっている。若い飲み手との接点について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「若い方たちとの接点が取れる場には、とても興味があります。うちの強みは、直接お話ししたときの引きの強さと、飲んでいただいたときの美味しさでお客さまになっていただけること。飲んでもらえる機会は、蔵にとって大きいんです」
──天保2年創業の蔵の跡継ぎが、格闘ゲームの会場で自分の蔵を応援してもらう。伝統と現代は、この蔵の中で自然に同居している。
一本では分かってもらえない酒──だから、蔵で会いましょう
旨味のしっかりした酒から飲みやすい酒、生酒、古酒、無添加の果実酒まで。こだわりの詰まった20種類超のレパートリーだからこそ、藤居さんのメッセージはこうなる。
「一本飲んだだけでは、うちの酒は分かってもらえないと思っています。ぜひ蔵に、いろいろな種類を飲みに来てください。見学は無料で、試飲も10種類ほどご用意しています」
取材の終わりに、今後の展望を尋ねると、より大きな視野が語られた。
「世界のお酒で国の名前で呼ばれる日本酒の背景を、先ずは肝心の日本の皆さまにご理解いただき、誇りと楽しさを持って日々の暮らしの様々なシーンで活用いただく努力を続けていくこと。独自に育てる古酒を広めていきたい」
──30年の古酒から無添加の果実酒まで。「国の名前で呼ばれる酒」の奥行きを、この蔵は蔵ごと見せてくれる。日本酒を、誇りと楽しさを持って日々の暮らしへ──その入り口として、これほど懐の深い蔵はなかなかない。
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