白衣の上にハッピを羽織り、頭には好きな色の和手ぬぐい。もろみタンクの前には専用ライティングのフォトスポットがあり、撮った写真はその場で無料でもらえて、ラベルになって日本酒になる──岩手県二戸市の南部美人が「エンタメ酒蔵見学」と呼ぶ蔵見学を、五代目蔵元・久慈浩介さんの案内で体験した。発想の元ネタは、全部ディズニーランドだという。山の上の水源から、日本酒の価値観で造るウイスキーまで、1歳児連れで歩いた記録。
蔵見学なのに、山の上から始まる──折爪岳の水源と「移動できない水」
南部美人の蔵見学は、正確には蔵に入る前から始まっていた。五代目蔵元の久慈浩介さんが最初に案内してくれたのは、二戸市の折爪岳にある湧き水「山居湧水」。南部美人の仕込み水の水源だ。
「ここで雨が降って、全部地中に染み渡っていって、水脈に入って、うちの蔵の井戸から湧いてくるんです。米は買ってきて移動できるけど、水は移動できませんからね」
山の中には天保7年の文字が残る古い祠があり、木組みの水路を湧き水が流れ続けている。手ですくって飲むと、驚くほどやわらかい。そして蔵に着くと、見学の最後に井戸水が出てくる。同じ水脈の水なのに、地中でミネラルを吸った井戸水は少し硬く、鉄っぽさすら感じる。この飲み比べが、「水で酒が決まる」をどんな説明よりも雄弁に伝えてくる。
折爪岳は7月上旬、100万匹を超えるヒメボタルが大発生する群生地でもある。「道路をホタルが歩いて渡ってるんですよ」と久慈さん(ホタル保護のため観賞は予約制。申込は公式サイトから)。それだけ水がきれいな土地で、南部美人は1902年(明治35年)から酒を造ってきた。初代は隣の一戸町の醤油屋の末っ子。「同じ醤油はやれない」と山をひとつ越えて分家し、酒造りを始めたのが124年前だ。
白衣の上にハッピ、頭に和手ぬぐい──「エンタメ酒蔵見学」はディズニーランドに学んだ
「うちの蔵見学は特殊ですよ。これを基準にすると、他に行ったら本当につまらないです。うちのは、エンタメ酒蔵見学なんで」
出発前に久慈さんが宣言したとおり、蔵に着くと見学は独特の手順で始まる。衛生管理(HACCP)のために白衣は着る。ただし、その上から南部美人のハッピを羽織り、白い帽子の代わりに、4色から好きな色を選べるオリジナルの和手ぬぐいで髪をまとめる。手ぬぐいはそのままプレゼントだ。
「ディズニーランドに行くと、ミッキーのカチューシャをさせられるじゃないですか。正直、おじさんにとっては苦行ですよ。でも、パークに入った瞬間にその気持ちがなくなる。ミッキーと同じ格好をしているほうが普通になるんです。うちも一緒で、酒蔵に入るときは蔵人と同じ格好になってもらう。私がいつもハッピを着ているから──酒蔵のミッキーマウスは私です」
色を選ばせるのにも元ネタがある。かつてお台場にあった温泉施設で、浴衣を選ぶ時間が一番楽しそうだったからだという。白衣と白帽子で「せっかくのおしゃれが台無し」になる蔵見学を、楽しみに変えるための設計が、入り口から徹底されている。
「酒蔵には、デフォルトの写真がない」──もろみタンク前のフォトスポットと、写真がラベルになる仕組み
見学のハイライトは、もろみの仕込み蔵にある。タンクが並ぶリアルな現場の一角に、専用ライティングを組んだフォトスポットが設けられているのだ。
「ワイナリーに行ったら、ブドウ畑やカーヴの前で写真を撮って『ワイナリーに行ったんだね』って分かるじゃないですか。ウイスキーなら樽や蒸留器の前。でも酒蔵には『酒蔵に行きました』っていうデフォルトの写真がないんです。大概は入り口の看板の前。それなら、わざわざ見学しなくても撮れちゃうわけですよ」
だから造った。自分のスマホでは撮れない画角とライティングで、発酵中のもろみタンクを背にした「酒蔵に行った証拠写真」が撮れる場所を。撮影はiPadの遠隔操作で、スタッフがシャッターを切ってくれる。
「ヒントはディズニーのスプラッシュマウンテンです。あの落ちた瞬間の写真は、あそこでしか撮れない。ただディズニーが惜しいのは、有料なことと、紙焼きが大きくて荷物になること。うちは写真じゃなくデータで、その場でWi-Fiですぐ差し上げます」
もらった写真はすぐSNSに上げられる。そして希望すれば、その場で写真がラベルになり、お酒に貼って持ち帰れる。飲み終わっても飾っておける、世界に1本の記念品だ。コースによっては、この写真ラベルのお酒や、浄法寺漆器(雪月花)でのテイスティングがセットになっている。なお、このライティングは「酒造りにはビタ一文も関係ない」(久慈さん)。それでも、もろみは普通にその横で発酵している。博物館ではなく現場であることが、この蔵見学の凄みだと思う。
案内は専門スタッフ、土日もやる──「蔵見学は面倒くさい」の逆を行く
この日の案内は、久慈さんではなく見学専門のスタッフが務めてくれた。見学はまず、酒母タンクを改造した円形スクリーンで工程の映像を予習するところから始まる。古い道具が、そのまま見せ方の装置に生まれ変わっている。
最初に向かうのは、蔵の裏手の石段を登った先にある松尾様のお社。酒の神様に手を合わせてから、蔵に入る。仕込みが始まる秋と終わる春には、製造のメンバーもここで祈祷するのだという。
蔵の中では、積み上がった酒米の袋と、精米歩合ごとの米の見本が迎えてくれる。玄米から大吟醸用に磨いた米までを見比べると、「米を磨く」の意味が一目で分かる。
そこから洗米、蒸し、放冷、ろ過と、実際に動いている現場を順に歩く。地元の大工さんと組み上げた洗米のベルトコンベヤーも、ホースと圧力計が現役のろ過装置も、作り込まれた展示ではない。
蔵の2階へははしごで登り、仕込み中のタンクを上からのぞき込む。氷で温度を抑えているタンクもある。最後は搾り機(やぶた)まで、工程をひととおり見て回った。
「蔵見学は、平日すらやらないところが多いんですよ。専門に案内する人がいないから、来られても困る。うちは案内の子たちを育てて、仕事としてしっかりやる。土日もやります」
質問攻めにしても、分からないことは「確認してお答えします」と正直に返ってくる。これも方針で、「下手なことを答えるのはダメだから」と教育されているのだという。なお1歳児連れでも、ベビーカーの預かりから子ども用の手ぬぐいまで、驚くほど普通に受け入れてもらえた。
日本酒の価値観で造るウイスキー──「ブリュワリー&ディスティラリー」という珍しさ
敷地の奥には、ウイスキーの蒸留棟と樽の貯蔵庫がある。瓶詰めなどの機能を別工場に移して空いた建物を、蒸留所に転用した。社名はあえて「南部美人ブリュワリー&ディスティラリー」。醸造所と蒸留所を同じ場所・同じブランド名で名乗る例は珍しいという。
「日本で造られるウイスキーは、モルトのほとんどが外国産なんです。日本酒は全部日本産の原料しか使えない。だったら、そうじゃない勝負をしたい。モルトは全部国産。一次発酵には日本酒の酵母とウイスキー酵母のハイブリッドを使う。日本酒の価値観を生かしたジャパニーズクラフトウイスキーです」
味わいも日本酒の哲学で設計されている。「うちの酒のテーマは『きれいで美しい』。ウイスキーの専門家からは、これじゃ足りないと言われるかもしれない。でも、ウイスキーマニアに飲んでもらいたいわけじゃないから」。熟成はまだ3年に満たず、市販は来年以降。いまは蔵に来た人だけが、樽出し62%の原酒をテイスティングできる。この若い原酒は今しか飲めないと思うと、グラスの一口が貴重に感じられた。
ガチャ、ストリートピアノ、歴代総理の書──本蔵「hongura」と、ここでしか買えない酒
見学の起点と終点になる本蔵「hongura」も見どころだ。酒母タンクを改造したスクリーン、娘さんのピアノを転用したストリートピアノ、高市総理の「國酒」の書(レプリカ)、久慈さんが聖火ランナーとして走ったときの東京オリンピックの聖火トーチ。ライブをやればスタンディングで70〜80人が入る。入り口には謎に人気だという500円のガチャまである。天井のLEDは水の波紋をかたどり、ロゴの「本」の字は水に見えるようデザインされている──水源から始まったこの蔵の物語は、建物の照明にまで貫かれている。
売店には、ここでしか出会えない酒が多い。搾りたてを瞬間冷凍した「スーパーフローズン」。岩手の岩泉ヨーグルトと組んだアルコール5%のヨーグルト酒。金田一温泉の開湯400年を記念して、400年前のレシピで木桶一本だけ仕込んだ記念酒(蔵と金田一でしか買えない)。糖類を使わないのに甘い、特許製法の梅酒とゆずレモン酒。地元の漆の木で香りづけした、米から造るクラフトジン。試飲して、宅急便で送れる。
見学の合間には、スタッフが一杯ずつ手作りする麹のスムージーも飲める。取材時は一杯400円だったが、手間を考えるとさすがに安すぎるそうで、価格は考え中とのことだった。
そして試飲の器は、日本一の漆の産地・二戸の浄法寺漆器だ。「器までテロワール。僕らの酒もテロワール。器までテロワールを組める地域は、ここしかないんですよ」
「二戸に人を呼びたいから」──エンタメ酒蔵見学の目的
なぜ、ここまでやるのか。理由を聞くと、答えは酒の宣伝ではなかった。
「ここに人を呼びたいからです。じゃないと、ここに観光客は来ないんですよ」
二戸は東北新幹線の駅がある町だが、派手な観光地ではない。だからこそ、写真を撮りたくなる仕掛けを作り、専門の案内人を育て、土日も蔵を開け、漆器の里や地元の名店とつないで、酒蔵を起点に人が巡る仕組みを作る。蔵見学は目的ではなく、町に人を呼ぶ手段なのだ。
見学を終えて、たしかに久慈さんの言うとおりだと思った。これを基準にすると、他の蔵見学は「工場見学」に見えてしまうかもしれない。ただしそれは、他の蔵の酒造りが見劣りするという意味ではない。「見せ方」までを酒造りの一部として本気で設計している蔵が、まだほとんどないということだ。
この蔵見学は、連載「地元の人に、旅を任せてみた。」の岩手の旅の中で体験した。旅の全体は本編記事「南部美人・久慈社長に、岩手の2日間を任せてみた」で、同じ旅で訪ねた対照的な蔵の記録は菊の司酒造の見学記事でどうぞ。
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